お互いの主張が対立する場合にどの様に解決するかという観点から文化を考えてみると、裁判型と示談型があるように思います。
裁判型文化

自分の言い分を通し続け、一歩も惹かずに争い合います。
決着は、強い方が相手を力でねじ伏せて決まります。
勝者は完全な満足を得、敗者は完全に屈服させられます。
裁判型文化が成り立つためには、個々が一歩も譲ることなく自己主張をし続けなければなりません。
公権力も然りで、徹底的に強権を発動して自己主張する民衆を制圧する必要があります。
つまり、力で制圧しないと論争は終わらない文化と言えます。
示談型文化

自分の言い分と相手方の言い分の折り合い点を見つけ出し、お互い程々の満足点で決着をつけます。
示談型文化の場合は、お互いにいくらかの不満が残ることになるでしょう。
妥協することが前提となり、両者とも勝利者とも言えるし、敗者とも言えます。
公権力は強権発動をする必要はあまりなく、その存在を示しているだけで足りる場合が多いでしょう。
経済的観点から考えてみると
裁判型文化と示談型文化を経済的観点から考えると、示談型文化の方が格段に合理的です。
言い争うエネルギーは少なくて済むし、どちらかが引き伸ばし作戦に出ない限り、決着するまでの時間も少なくて済むでしょう。
また、公的権力に投じる費用も少なくて済みます。
そう考えると、文化度としては、示談型のほうが上であると言ってよいのではないかと思います。
我が国を考えてみると
我が国の文化がどちらに属するのかについて考えてみると、示談型文化に属すると言う点においては異論はないと思います。
このようにそれぞれが妥協点を見出し、争うことを減らしながら強調していくといった示談型文化はいつ頃から形成されてきたのでしょうか?
詳しくは専門家におまかせするとして、素人の思いつきでは、聖徳太子の十七条憲法の第一条に、「和を以て貴しとなし、」という文言があったことが思い出されます。正式には、「和を以(もっ)て貴(たつと)しと為(な)し、忤(さから)う無きを宗(むね)と為(せ)よ」と言うようです。

「何事を行うにも、みんなが仲良くやり、いさかいを起こさないのが良い」ということであると思います。
人々が協調することの重要性を解いたものと言ってよいでしょう。
驚くべきは、この十七条の憲法が604年に公布されたものであることです。
約1400年前です。
紀元600年ごろと言えば、ヨーロッパを中心に弱肉強食的価値観が横行していた時代です。
私たち日本人が、強調性を重んじる文化というのは長い長い歴史によって育まれてきたと言ってもよいのではないでしょうか。
地政学的に独自の価値観を育みやすかったということもあるとは思いますが、社会的な負担を減らす貴重な価値観であると思います。
協調性を重んじる示談型文化を、世界的に主流である裁判型文化に合わせていくというのは、文化の退化と言っていいと思います。
むしろ、裁判型文化圏の人々に示談型文化の長所を理解してもらい、示談型文化に転換してもらうよう促していきたいものです。
来日し、日本の文化に触れた多くの外国人の方々が、日本人の価値観を称賛してくれています。
そのような方々を増やしていきたいものです。
追記
昨年、近くのため池の見学会に行きました。
地形や自然の湧水が適度にあることが幸いして、大変貴重な昆虫や植物が生息、分布しているとのことでした。
微妙なバランスの上に生態系が成り立っているので、人が出入りするだけでその生態系が崩壊する可能性があるということでした。
したがって、池の周りは高いフェンスで覆われており、日頃は侵入禁止となっています。
お互いが他の個体の領分を侵蝕することなく、調和しながら生息している場に強い影響を及ぼす存在が侵入すると、調和した世界はあっという間に崩壊してしまうということです。
示談型文化は、相手の主張に対して、自分が一歩引いて相手に譲ることで成り立っていますので、裁判型文化と対峙すると一瞬で叩き潰されてしまいます。
長きに渡って形成されてきた、お互いが少しずつ譲って調和を尊ぶ社会を大事にしていきたいと思います。
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