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宇宙には知的生命体がいる確率が高いのになぜコンタクトできないのか?

暗黒森林理論とフェルミのパラドックス

宇宙はなぜ静寂なのか?

  

夜空を見上げて、無数の星々のきらめきに感動したことはありませんか?

そして、これほど広大な宇宙に、私たち人類以外の生命体が存在しないなんて、本当にそうだろうか?

と考えたことはないでしょうか。

実は、この疑問は、かの有名な物理学者エンリコ・フェルミも抱いていました。

それが、1950年、ある昼食の席での雑談から生まれた「フェルミのパラドックス」です。

フェルミのパラドックスとは?

フェルミはこう問いかけました。

「宇宙には地球と似た惑星が無数にあるはずだ。

それなら、知的生命体がいくつも誕生していてもおかしくない。

しかし、なぜ私たちは彼らの痕跡を全く見つけられないのだろうか?」

つまり、計算上は宇宙にはたくさんの知的生命体がいてもおかしくないのに、彼らからの「コンタクト」が全くない、という矛盾こそがフェルミのパラドックスなのです。

なぜ宇宙は静かなのか?いくつかの仮説

このパラドックスに対して、これまで様々な仮説が提唱されてきました。

レアアース仮説: 

地球のような生命が誕生し、さらに進化して知的生命体になるための条件は、実は非常に稀である、という考え方です。

グレートフィルター仮説:

 知的生命体が絶滅するような「大きな壁」(グレートフィルター)が、生命の進化のどこかの段階に存在するという説です。

例えば、自己破壊的な技術の発展や、環境破壊などがこれにあたります。

動物園仮説: 

宇宙の高度な文明は、あえて地球に干渉せず、私たちを「観察」しているだけだという、SF的な仮説です。

そして、今回注目したいのが、中国の人気SF作家である劉慈欣(リウ・ツーシン)のSF小説「三体」シリーズで描かれた、非常に興味深い仮説です。

宇宙は「暗黒森林」?

劉慈欣が提示したのが、「暗黒森林理論」です。

これは、宇宙を「弱肉強食の暗黒の森」に例える考え方です。

想像してみてください。

あなたは森の中にいます。

もし、他に誰かがいると分かったらどうしますか?

もし相手が友好的でない場合、自分の存在を知られたら危険かもしれません。

だから、身を隠し、声を潜めます。

暗黒森林理論では、宇宙の文明も同じように行動すると考えます。

宇宙に存在する文明は、他文明の存在を察知すると、それがたとえどんなに遠く離れていようとも、自分にとって脅威となりうると判断し、先制攻撃を仕掛ける可能性がある、というのです。

なぜなら、

文明の技術レベルは予測不能: 

文明のレベル:

相手の文明がどれほど発達しているか、どのような意図を持っているか、正確に知ることはできません。

資源の有限性: 

宇宙の資源は有限であり、高度な文明であればあるほど、より多くのエネルギーや資源を必要とします。

このような状況下では、安易に自分の存在を知らせることは、自らの破滅を招くリスクとなるのです。

だからこそ、宇宙の文明は互いに沈黙し、まるで暗黒の森に潜む狩人のように、静かに身を潜めている、というわけです。

ホーキング博士の警告

この暗黒森林理論を裏付けるかのような出来事がありました。

中国が世界最大の電波望遠鏡「FAST」(天眼)を建設し、宇宙に向けて電波を発信しようとした際、あの宇宙物理学者スティーブン・ホーキング博士が、**「電波を発信するな」**と強く警告したのです。

ホーキング博士は、地球外生命体との接触は人類にとって危険をもたらす可能性があると語り、特に高度な文明との遭遇は、コロンブスがアメリカ大陸を発見した際に先住民に起こったことと同じような結果になるかもしれない、と警鐘を鳴らしました。

これはまさに、暗黒森林理論が示唆する「先制攻撃」のリスクを危惧してのことだったのかもしれません。

宇宙の静寂の先に

フェルミのパラドックスは、私たちに宇宙の広大さと、そこに潜む可能性、そして危険性について深く考えさせます。

私たちは、この広大な暗黒の森の中で、唯一の存在なのでしょうか?それとも、私たち以外の文明もまた、この森のどこかで、静かに息を潜めているのでしょうか?

宇宙の静寂は、単なる偶然なのか、それとも、この暗黒森林理論のように、ある種の「戦略」の表れなのでしょうか。

この謎は、人類が宇宙を探求し続ける限り、私たちに問いかけ続けることでしょう。

そして、その答えを見つけ出すことができた時、私たちの宇宙観は大きく変わるに違いありません。

文明を維持するには資源が必要となります。

ダイソン球理論のように、恒星の光や熱のエネルギーを吸収するパネルで恒星自体を取り囲むというような施設ができても、やはり足りない資源は存在します。

文明はその資源を宇宙に求め、奪い合うことになるでしょう。

フェルミのパラドックスは、宇宙規模での共生の困難さを訴えかけます。

大航海時代の他からより多くを奪うという構図ではなく、

フェルミのパラドックスは物資が足りずに他から奪うという構図です。

食料自給に苦しんだヨーロッパの中世と同じ状態です。

余剰がある場合に寄附はできますが

自分が生き残るのが精一杯の場合には相手を制圧してしまいます。

そのような中でも

聖徳太子の十七条の憲法の第一条に惹かれます。

和を以て貴しと為し、忤ふこと無きを宗と為す:

和を尊び、人と争わないことを基本とするです。

日本人の社会はこの精神で合理的に回っている稀有な社会であると思います。

だから、地球上でとても素晴らしい国として存在してるのでしょう。

しかし、宇宙規模の成り行きについて専門家の理論に従うと暗黒っぽいですね。

性善説に基づいた社会を築き上げた我が国は素晴らしいと思います。

 

 

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