
アメリカ社会の寛容さ
「ブレイキング・バッド」は、肺がんを宣告された高校の化学教師ウォルター・ホワイトが、家族のためにお金を残そうと高純度のお薬製造に手を染め、やがて殺人にまで及ぶという衝撃的なドラマです。
2008年1月から2013年9月まで放映されていたということなので、かなり古めの作品になります。
観たことがなかったのですが、ドラマでは人気ナンバーワンと書いてあったので観てみました。
この作品を観ていると、アメリカ社会には、犯罪行為によって大金を稼ぐことに対して、ある種の寛容さがあるのではないかと感じました。
アメリカ映画には、銀行強盗を成功させるストーリーや、「ショーシャンクの空に」のように、主人公が警察署長の不正な蓄財を巧みに持ち出してメキシコに逃亡し、ある種の「めでたしめでたし」となる作品も存在します。
これらの作品は、単なる犯罪行為の美化ではなく、不当な権力への反抗や、自由を希求する人間の姿を描いていると解釈することもできますが、結果として「犯罪による大金」が肯定的に描かれている側面があるのは否めません。
このようなアメリカの文化的背景には、プロテスタントの倫理観が影響しているのではないかと思うのです。
プロテスタントの倫理観と蓄財
アメリカの人口の約40%をプロテスタントが占めます。カトリックは22%ほどです。
多数派のプロテスタント思想が文化に深く根付いている可能性は十分に考えられます。
ご存知のように、カトリックでは蓄財が悪とみなされ、富は教会への寄付などを通じて還元されるべきだという価値観が根強いとされます。
中世の贖宥状(免罪符)の販売なども、教会が資金を集めるための手段でした。
一方で、プロテスタントでは「神はお金を受け取らない。」とされ、人々が勤労によって得た蓄財を肯定的に捉える傾向があります。
もちろん、蓄財で贅沢にふけることは罪深いとされますので、その財を仕事に再投資し、事業を拡大する、つまり「拡大再生産」を奨励したのです。
これは、資本主義の発展に大きな影響を与えたとも言われています。
つまり、働いて大儲けをするということは、勤勉であるということの証であり、神もお喜びになるということになるのです。
ウォルター・ホワイトとプロテスタント倫理
「ブレイキング・バッド」の主人公ウォルター・ホワイトは、確かに「お薬の製造」という極めて非合法な手段ではありますが、その化学の知識と勤勉さをもって高純度の製品を作り出し、莫大な財を築きました。
ある意味で「勤労(非合法なものですが)の対価として財を得た」と言えるかもしれません。
プロテスタントの倫理観に照らし合わせれば、その行為自体は完全に肯定されるものではありませんが、勤労による蓄財という側面だけを見れば、神から認められる蓄財と言えるかも知れません。。
しかし、ウォルターが犯す罪は単なる蓄財にとどまらず、暴力や殺人にまでエスカレートしていきますので、それらは完全にアウトです。
・プロテスタントの蓄財肯定
・大金=正義という割り切り方
・手っ取り早く儲かるに越したことはないという合理性
・お薬慣れした文化
・困難に挑戦することを好むフロンティアスピリット
などなど、アメリカ風味がたっぷり詰まった作品でした。
化学の教師ウォルターは肺がんで、義理の弟は麻◯捜査官であり、助手のジェシーは元生徒でお薬中毒ですぐキレる性格、そこに組織の連中が絡んできて、悪い人間関係のごった煮みたいな状態がずっと続きます。
このドラマの日本版を制作したら、非難轟々になるのではないでしょうか。
そう思うと、倫理観というところで日米の差が大きいなと感じました。
アメリカでは、
・4億丁近く出回ってる銃
・お薬の蔓延
・ギャングやカルテルの横行
などもうメチャクチャなので、結果が良ければまーいいかという大雑把さが出て来るのは仕方がないかなと思います。
日本は発砲事件や殺人事件が少ないので、倫理観は厳し目で、悪いことをした時点で完全アウトであり、その後に良い結果が出てきてもやはりアウトなのであります。
どちらの社会がいいでしょうか?
僕は日本の社会がいいです🙇♂️

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