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天才を超える存在

天才バイオリニストの吉村妃鞠(ひまり)さんのカーティス音楽院に入学(10歳で最年少入学)後の様子を撮影したyoutubeが上がっていたので拝見させていただきました。


各国で神童と呼ばれた若い学生が集う中、大きめの部屋で各人が初めてのソロの演奏を披露する場面が収録されていました。
動画はひまりさんが演奏しているところから始まっていました。
周りはお姉さんお兄さんばかりの中、10歳のひまりさんが演奏していました。
カメラがひまりさんから、演奏を聞いている10名程度の同僚に向けられました。
その時の皆の表情は、
「・・・(絶句)」という感じで、
中にはパーカーのフードで顔を覆う学生もいたりして・・・
衝撃度がこちらにも伝わってきました。

彼ら一人ひとりが自分こそ世界一になるんだという自負を持って生きてきたと思います。
6歳から世界のコンクールに出場して、すべての大会で優勝を飾ってきたやばい日本人の少女がいるという情報は十分に頭に入っているはずなのに・・・
それでも絶句するほどの驚きがあったのでしょうね。

妃鞠さんが優勝したのと同じコンクールに出場していた学生もいると思いますが、その当時よりもさらに進化していたのかもしれません。

天才の道を歩む人々の前に、突如として、神に愛された神童が降臨するというのは、まことに残酷なことであると思います。

アマデウスという映画(1985年)があります。
モーツァルトとその才能を妬むサリエリ(宮廷音楽家・ベートベンの師匠)との関係を主題にした映画です。
サリエリも天賦の才能を有した音楽家でしたが、モーツァルトという神から愛された少年が突如現れ、サリエリを苦悩のどん底に叩き込むのでした。

モーツァルトの才能を天才のサリエリはすぐに見抜きますが、彼は神に向かって嘆くのでした。

なぜ、私にはこのような中途半端な才能しか与えて下さらなかったのかと。

その構図と同じことがカーティス音楽院の中で繰り広げられたというわけです。
学問であれば、研究領域が無限と言っていいほどあるので、アインシュタインやボーアみたいな超絶天才が現れても、彼らとは別の分野の研究になんとか逃げることはできるとは思います。

しかし、音楽やスポーツの世界では、無限に分野があるわけではなく、各分野で1番、2番、3番と序列がつきやすいです。
また、多くの一般人に観賞してもらうという性質もあるため、殊に1番の人が称賛されます。
1番の人間が称賛を独り占めするわけです。

橘 玲氏が書かれた「バイオリンの天才児はなぜデリヘルドライバーになったのか」という記事があります。
主人公の風見隼人さんは、母親の弾くバイオリンに興味を持ち、小学1年生から習い始めますが、いきなり才能が開花し、名のある先生の下で習うようになります。
そして、中学生の全国大会で満場一致で優勝しました。
その後音大に通いつつ、才能を認められていくのでした。
現在の風見さんが語ります。
「クラシックの演奏家って、日本一程度じゃダメなんです。ましてや学生日本一なんてまったく話にならない。」
やがて彼は伸び悩み始めます。
「要するに上には上がいるってことですよ。世の中には本物の天才ってヤツがいるんです」と風見さんは言います。
そして、悲しいことに、彼にはお金と努力が欠けていたのです。
「ちくしょう、俺にも金があればバイトなんかせず、全生活を練習にあてて、何十時間でもバイオリンに没頭できるのに」と思いつつも、彼は水商売のアルバイトで稼ぐようになります。。
そして、22歳の時に、すべてを断念したのでした。

彼は語ります。

「これは、やったことのない人にはわからないことかもしれない。一流を極めようとした人間にしか知ることのできない感覚なんです。才能っていうのは、努力の上に成り立っているんです。才能を獲得し維持するには、とてつもない壁がある。その壁を突き破るためには、人間の限界を超える努力が必要なんです。逆に言うと、そんな尋常ならざる努力のできる人、それが天才なのかもしれない。悔しいけれど僕はそう(選ばれし者)じゃなかった。天才じゃなかったんです」と。

恐ろしすぎる世界です💦
ギフテッドと呼ばれる天才が、
更に超人的な努力を重ねて
超絶天才になり、
名声と称賛を根こそぎ持っていく世界なのです。

何の取り柄もない自分ですが、
その方が幸せかもしれないと思えるお話でした。