NETFLIX 「死後の世界を探求する」より
興味深かったので内容を文字に起こしてみました。
登場人物は皆科学者です。
アメリカ人のメアリー・ニール脊髄外科医の臨死体験
チリの渓流カヤックで下っていた。
そして、カヤックごと滝つぼに落ち、骨折した。
無痛、恐怖はなく、パニックにも陥らなかった。
今までになく命を感じた。
魂が体から引き剥がされた。
天国に向かって開放された。
すぐに数人が迎えに来た。
人か霊かはわからない。
会ったことはない。
でも私の人生に重要な影響を与えた存在。
例えば会ったことのない祖父母。
彼らはおお喜びして、私を迎え入れてくれた。
私は道へと案内された。
その道には無数の花が幾重にも咲き乱れ、花の香がした。
宇宙のあらゆる色が爆発していた。
時間と空間の感覚が全く違う。
永遠が1秒の中にあり、その1秒が永遠につながる。
道の先には巨大なドームがあった。
そこが天国だと思う。
いわゆる神の世界。
故郷に戻った感覚に満たされた。
同時に背後には川があり、私の体は川底にあった。
数人のカヤッカーが私を助けようとしていた。
でも無理だった。
15分程経って、彼らは救出を断念し、遺体回収に切り替えた。
1人が下流で私の救命具を発見した。
夫が欲しがると思ったそう。
それを取りに行く時、私の体が足に当たり、水面下で私の手首を掴んだ。
私の体は膨張して紫色で瞳孔も動かなかった。
疑う余地がない。
私の肉体は死んでいた。
蘇生術を施される自分をドームから眺めていると、彼らの声がした。
1人が渡しに言っていた。
”戻ってこい、まだ近くにいるはず”と。
無酸素状態が30分続いた。
統計的な生存率は0%のはず。
私は体に戻りたくなかった。
物理的に引き止められる心地よい感覚があり、不安は感じなかった。
でも、その存在は言った。
”まだ来るな、やることが残っている”
私は戻るしかなかった。
目を開けると、蘇生にあたった男性たちが驚いていた。
体はひどい状態だった。
溺れたし。
何本も骨折して、靭帯も損傷していた。
しかも、そこは大自然に囲まれた川辺だった。
彼らは私をカヤックに乗せて、山腹に向かって歩いた。
未舗装の山道に出た。
そこで車か馬を探すつもりだった。
でも山道に出ると、そこに救急車が止まっていた。
1999年のチリ南部ではあり得ないことだ。
奇跡だった。
何時間もかかったけど、私は病院に運ばれた。
医師は”今夜が山場だ”と夫に伝えた。
でも生きた。
入院生活は1ヶ月以上続き、何度も手術を受けた。
再び歩けるまで何ヶ月もかかった。
統計的に重度の脳損傷を免れない状態だった。
でも私の脳は無傷だった。
私の子どもたちは反論するけど、私は元通りに回復した。
医師仲間に臨死体験について話したがる人は少ない。
科学に従事する人の多くは超自然的な力を信じない。
医学生の頃の私が死を定義するなら、物理的肉体の死だ。
でも、自分の臨死体験とその後息子に起きたことは、私の死の定義を大きく変えた。
私達はまだ、すべてを知らない。
その通りと思います。
宇宙の全物質を統合しても、本来あるべき物質の4%に過ぎません。
ほんの70前にDNAの二重螺線構造が解明されたに過ぎません。
根拠はありませんが、人間の構造、とくに脳のシステムについては4%程度ではないかと思ったりします。
これからどんどん解明されてゆくことを考えると、楽しみでなりません。
”バージニア大学医学部近く研究室”にて、ブルース・グレイソン医学博士、ジム・タッカー医学博士が語る。
NDEと呼ばれる臨死体験は、死を目前にした人に起きる衝撃的な体験だ。
心停止者の約10~20%が臨死体験を報告する。
この知覚研究室は、意識が死後も存在する可能性について研究している。
物質主義者の主な考え方は”この世は物質的なもの”、物質である脳が停止すれば意識は失われる。
つまり意識存続の考え方は基本原理に反する。
しかし、人は死後の世界に、有史以前から関心を寄せてきた。
この研究室は約50年前に創設された。
研究対象は死者と交信する”霊媒師”、死の直前の”臨終期視像”、”生まれ変わり”や生死の境界で起きる様々な自然発生的現象、その1つが臨死体験だ。
歴史的に見れば、臨死体験は有史以前から存在していた。
だが、最初の研究者は1892年のアルベルト・ハイム、スイスの地質学者だ。
登山時に滑落し、落ちながら素晴らしい体験をした。
落下の時間がゆっくり流れた。
この体験に驚いて登山家たちに話を聞くと、30人が同じ体験をしていた。
高所からの落下は至福の体験だったという。
そして、1960~70年代に、蘇生医療が発達した。
胸部の圧迫は最善の人工心肺法です。
一命を取り留める人が次第に増えていった。
その大勢が至福の体験を報告し、肉体を離れ別世界を旅したと話した。
レイモンド・ムーディ医学博士が語る。
患者が目にしたのは、トンネルや道、門のような場所で、彼らはそこに入った。
たどり着いたのは、明るく暖かく愛に満ちた光の中だ。
語り手が語る。
1975年のムーディの著書「かいまみた死後の世界」は、私を含めた大勢の人に臨死体験を信じさせた。
精神科医ピーター・フェンウィックが語る。
ムーディの著書で臨死体験について読んだ。
くだらないと思った。
あれはアメリカ人だけに起きたことで、合理的なイギリス人には無関係だとね。
だが精神神経科医の私のもとにある患者が訪ねてきた。
彼は心臓カテーテル手術で、肉体を離れ自分の姿を見る体験をした。
初めての証言者だ。
信じるべきか?
その答えを出す前に研究してみることにした。
以後40年ほど臨死体験を研究している。
物質主義の科学に基づけば、”脳が全て”だ。
脳の機能が止まれば意識はなくなる。
だが、臨死体験では、意識が遥か遠くまで拡張する。
脳が機能していないのにだ。
つまり脳は全てじゃない。
臨死体験は主観的であり、客観的な確認は難しい。
多くの科学者は納得しない。
ただの逸話だと批判する人もいる。
だが、歴史的にも科学は逸話を収集し、共通点を探すことから始まる。
臨死体験は世界中に多くの事例がある。
以下、臨死体験をした数多くの人々が我が身に起きたことを語る。
この辺で終えておきます。
続きはNETFLIXで。
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