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俳句

つい先日、知り合いの方から、俳句の会に欠員が一人できたから参加してみないかとお誘いをいただきました。

ずいぶん前に、
知り合いの美容師さんから
「将来弱ってきてね、寝たきりになっても楽しめる趣味について考えてみたらね、俳句なんかがいいね。」
という話を聞かされましたことを思い出しました。
寝たきりになったら俳句を詠んでひねもすのたりと過ごすのも悪くはないなと思ったものでした。
加えて、クレジットカードの会社から送られてくる雑誌の今月の特集が「俳句」でしたので、これはもう、何かの因縁と思い、一度参加させてもらおうかと思った次第です。

その雑誌の中に、

蛸壺やはかなき夢を夏の月 松尾芭蕉

という句が挙げられていました。
芭蕉が明石で詠んだ一句とのことです。
意味は、蛸壺が引き上げられる(捕獲される)までの夏の夜の一時を、はかない夢を見て過ごしている蛸よ。
という意味のようですが、それだけでは何のことやらピンときません。

すると、源平合戦の時に、瀬戸内海の海底に沈んだ平家のつわものどもが見るうたかたの夢(かつての平氏の栄華)のことをかけているという解釈もあるようです。
なるほど、それならば意味が深いですね。
一の谷の戦いや、八島の戦いで亡くなった平氏の武者たちでしょうか

俳句というのは、世界一短い詩と呼ばれているように、作者が感動したことを、持てる俳句力でたった17文字に圧縮するわけです。
その17文字を、今度は読み手が全力で解凍し、600文字ぐらいに戻して鑑賞するわけです。
そう考えると解釈の深みに底はなさそうです。

さて、生成AIに、「蛸壺が引き上げられるまでの夏の夜の一時を、はかない夢を見て過ごしている蛸」の俳句を作ってくれるように頼んだら、
Google Geminiは
蛸壺や 明けない夜に 夢見る影
夏の月 照らす壺中 夢一つ

MicrosoftのCopilotは
蛸壺や 夜の夢見る 儚さよ

※蛸の季語は夏です。
と返してきました。

俳句はAIに聞いてみるのもありかも・・・

追記

一の谷の合戦の時に、平清盛の弟である経盛の息子である美男子敦盛も熊谷直実によって討ち取られています。
たしか、中学校の教科書に「敦盛の最後」という話が収録されていて、何気に読んだら涙が流れてきて大変はずかったという記憶が残っています💦
皆様の教科書にも収録されておりましたでしょうか?
一番下にお話の内容を書き添えておきますので、ご覧くださいませ。

 源義経の「鵯越(ひよどりごえ)の坂落とし」と呼ばれる奇襲攻撃で一の谷の平家は混乱に陥り、勝敗の趨勢が決しました。よき大将軍と組みたいと思っていた源氏方の熊谷直実は、船に乗って逃げるために汀へ向かう平家の公達を、細道に入って追いかけました。

 すると、生糸を縦糸にし練糸を横糸として織った鶴の模様を刺しゅうした直垂に、萌黄の鎧を着て、鍬の形の飾りをつけた甲の緒を締め、金色に仕上げた太刀を帯び、24本指した切り斑の矢をえびらに入れて背負い、縁が金色に飾られている「金覆輪」の鞍を置いた、模様が銭を連ねたようになっている「連銭葦毛」の馬に乗った1騎の武者が、沖の船を目指して馬を海に入れ、5、6段(約55から72メートル)ばかり泳ぎました。

 熊谷直実は扇を掲げて、招きました。

「あれはいかに、よき大将軍と見える。卑怯にも敵に後ろを見せるものかな。引き返せ、引き返せ」

 すると、騎馬武者は馬を返し、汀にあがろうとしました。直実は波打ち際でその武者に組み付き、どうと馬から落として、取り押さえました。首を掻こうと甲をのけると、薄化粧をし、お歯黒をした美少年でした。直実は、わが子の小次郎・直家と同じくらいの16、7歳ほどかと思いました。

「そもそも、貴殿はいかなる人なのだ。名乗らせたまえ。助けよう」

 直実がそう告げると、若武者は「まず、そういう貴殿は誰ぞ」と尋ねました。「ものの数には入りませんが、武蔵の国の住人・熊谷次郎直実」と名乗りました。若武者は「ああ、貴殿にとってはよい敵ぞ。名乗らずとも、首を取って人に問いたまえ」と告げました。

 直実は、「あっぱれな大将軍。この人一人を討ったからといって負けるいくさに勝つわけではない。また、助けたといって、勝ついくさに負けるわけではない。今朝の一の谷の戦いで、わが子の小次郎・直家が薄傷を負ったのでさえ直実は悲しく思ったものだ。もし、貴殿の父が、貴殿が討たれたと聞いたらどんなに悲しむことでしょう。お助けいたします」と告げました。

 しかし、直実が後ろを見ると、土肥実平、梶原景時らが50騎ほどで近づいています。直実は涙をはらはらと流しながら、「ああご覧なさい。いかにしてもお助けしたいと思いますが、味方の軍兵が雲霞のごとくに満ちています。もはや、お逃がしすること、かないません。あわれ同じく討たれるなら、直実が手にかけ、後生を弔い仕ります」と告げると、「ただ何様にも、早く、早く、首を取れ」と答えました。

 直実はその姿があまりにいとしく、どこに刀を立ててよいのかわからず、目もあてられず、心もくじけ、前後不覚になりました。しかし、そのまま捨て置くわけにもいかず、泣く泣く首を掻きました。直実は、「あわれ、弓矢取る身ほど口惜しいことはない。武芸の家に生まれていなければ、ただ今のようなつらい目に遭うこともないのに。無常にも討ってしまったものだ」と、袖に顔を押し当てて、さめざめと泣きました。

 直実が首を包もうと、鎧と直垂を解くと、錦の袋に入れられた笛が腰に差してありました。直実は、「なんといとしいことだ。今日の明け方、一の谷の城の中で管弦の音色が響いていたが、この人々だったのか。源氏の東国勢は何万騎もいるが、いくさの陣に笛を持参している者はあるまい。公達は、いくさの陣においてもなお、優雅を忘れないものだ」と、その笛を大将軍の見参に入れました。その笛を見た者は皆、涙を流しました。