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パリオリンピック

目次

多様性か公平性か

今回のオリンピックでは、特に、女子ボクシングでXY染色体を持ったハリフ選手が話題となりました。
性の分化の際に、男性または女性のどちらかにきちっと分化することなしに生まれてくる場合もあるそうです。
それが身体的特徴として現れたり、今回のように染色体に現れる場合もあるとのことです。
ですので、「私は外見は男だけど、心は女性だから女子ボクシングに出場する。」というようなことではないようですね。


男性と女性にはっきりと別れずに、男性の部分も女性の部分も持ち合わせているという場合、グラデーションのように段階があると思いますので、線引きが難しいでしょうね。
さて、そのような方がスポーツ大会に参戦した場合、

・女性に、わずかながらでも男性の要素が残っていれば参加は認められないとするのか、
・ホルモン値や染色体など、様々な要素について細かな規定を設けるのか、
・IOCのように、パスポートの性別に従って判断するのか、
・身体は男性だが心は女性というのが認められれば女性として出場できるのか、

この問題は決着を見るまでに時間を要するのではないでしょうか。
スポーツ競技は公平な条件の下で行われるべきであるという要請と、
スポーツ競技においても多様性を認めるべきであるという要請とががちんこでぶつかったわけです。

ただし、多様性を認めると、つまり、男性に限りなく近い女性をみとめると、そもそも、男女に分けて競技をすることの前提が崩れてしまいます
そして、男性の要素がまったくない女性の勝ち目は無くなってきます

ここは、男性寄りの身体になるような身体的要素について、医学的見地から十分な論議を尽くして、厳格な基準を決める必要があるのではないかと思います。

各スポーツ団体がこの基準を独自に決めてもいいかも知れません。

その基準がおかしいと思った選手は、その基準を定めたスポーツ団体が開催する大会に欠席するようになるでしょうから、棲み分けが期待できます。

男女の身体的要素の厳格な基準を決めるべきと考える理由は、男性、女性に分けて競技を行ってきた趣旨というのは合理的であると思うからです

また、各闘技のように相手方に肉体的なダメージを与える競技にあっては、競技者が死亡などに至る危険性を排除する意味もあると思います。