4月27日に舞子から大久保にJRで向かう途中、西明石で1時間ほど足止めを食らったという事をBlogに書きましたが、どうも人身事故だったようです。
自◯されたんでしょうかね。
御冥福をお祈りいたします。
人はなぜ、壊れてしまうのでしょうか?
人が壊れる時
ヴィクトール・E・フランクルという精神科医、心理学者がいます。
「夜と霧」という題名の本を思い起こされた方も多いのではないでしょうか。
そうです。
フランクルは第二次世界大戦後のベストセラー本、「夜と霧」の著者であります。
精神科医、心理学者の彼はユダヤ人であったために、ナチの強制収容所に入れられます。
そこで、筆舌に尽くしがたい責め苦を二年半受け続けましたが、アメリカ軍によって、開放されたのでした。
身体が弱っていると見られると、即時ガス室送りになる。
一日の食事は薄いスープ一杯だけ。
極寒の中を薄いシャツ一枚で過ごす。
夜は布団もなく身体を寄せ合って眠る。
人はあまりにもつらい状況になると感情が死に、何も感じなくなるそうです。
完全に麻痺すると、死ぬことすら怖くなくなると言います。
ただし、無気力になり、感情が麻痺しても、ユーモアと感動だけは残るそうなのです。
極悪の環境の中で、収容された人々は冗談を言い合うようにし、夕日を見るためだけに皆集まったとのことです。
ほとんどの収容者が亡くなっていったこの環境の中で、どのような人が生き残ったのでしょうか?
精神科医であり心理学者であるフランクルは冷静に観察し、こういうのでした。
「人は希望を失うと簡単に壊れてしまう。」
その例として、
収容所では「クリスマスが来たら開放される」という噂が流れました。
多くの者は根拠もなくそれを信じたのです。
やがてクリスマスがやって来ましたが、開放されることはありませんでした。
そして、その翌日には、大量の死者が出たのでした。
希望を失い、免疫力が低下して、抵抗力が失われたのが原因であろうと言われています。
ですので、
フランクルは言います。
「人には、常に希望が必要なのだ」と。
先程のように叶う希望のない希望ではなく、
叶う希望を持ち続けていないといけないと言うのです。
生きる意味とは?
生きる意味はとは何なのか?
そもそもそんなものは存在せず、自分で何のために生きていくかを考え、運命を切り開くことが重要であるとフランクルは説きます。
「収容所で生き延びた人は、未来に希望を持ち、自分がなんのために生きるのかの答えを持っていた人だった。」とフランクルは述べています。
では、収容所の人々の生きる目的は何だったのでしょうか?
自分を待ってくれている人や物だとフランクルは述べます。
それは、
自分を待ってくれている妻であったり、
自分が書き残している論文であったり、
外国で自分に合うのを心待ちにしている子供であったのでした。
人は自分のために頑張るのは難しいのです。
自分以外の何かのために頑張ることしかができない。
それが、妻であり、仕事であり、子供であったわけです。
人は自分を待ってくれている人を意識した瞬間に、自分が生き残ることの責任に気付くことができるのです。
待ってくれている人を自覚すれば、生きることから降りれなくなるのだとフランクル説くのでした。
日々の辛いことを耐えるための小さな希望、
生きる意味を実感するための目的(待ってくれている人を意識することなど)、
この二つが、人が幸福に生きるうえで重要だということです。
現代に置き換えれば、
つらい仕事や勉強に疲れてしまっている人は、
友達とお茶する希望や、土曜日の夜9時からは自宅でゲームする希望をセットして、壊れないようにしなければなりませんね。
そして、生きる意味として、お子様の笑顔であるとか、家族の笑顔であるとか、彼氏や彼女の笑顔であるとか、あなたを待ってくれている人によろこんでもらえるということを目的にしましょう。
この希望と目的があれば、大久保駅で起こったような不幸なことは起こらなくなるのではないかと期待しています。
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毎日、ちょっとしたことでガス室送りになる恐怖はこの本でしか分かりません。