アメリカマクドナルドは1月に、多様性に関する目標の一部を取りやめると発表しました。

メタ(旧フェイスブック)も採用活動出で多様性への配慮をやめると発表しました。
また、小売最大手のウェルマートも取引先との契約で人種・性別を考慮することをやめると発表しています。
それ以外にも、Amazon、フォード、ハーレダビッドソン、ボーイングなどが多様性を見直す方針です。
2020年に、白人警官が黒人被疑者を押さえつけて逮捕した結果、黒人男性が死亡したことによって、「ブラック・ライブズ・マター」(黒人の命の大切だ)運動が広がったのでした。
どのような人種であれ、平等な権利を認められ、平等に扱われるべきであることについては誰しも異論がないでしょう。
LGBTQの人がいて、同性愛者や性同一障害を抱えた人を認めるべきと言うことについても異論はないでしょう。
宗教についても同様で、キリスト教やイスラム教、仏教やヒンズー教を信仰する人の信教の自由は尊重されるべきです。
個人は何ものにもとらわれずに、自由に感じ、思い、信じる権利があります。
とまあ、ここまでは異論のないことでありましょう。
ところが近年、「多様性」は、
映画の主人公に必ず有色人種を登用せよ!
メリー・クリスマスと言い合うのは止めて、ハッピーホリデイと言うようにしよう!
などと主張し始めました。

つまり、
・違う要素を持った存在を認めよう
ということから
・他の文化に差し障りのあることは、あなたの文化の中から抹消しなさい
という主張に変わってきたのでした。
メリー・クリスマスと聞くとイスラム教を信仰する自分たちには不快に聞こえるので、ハッピーホリデイと言うようにしろと要求するようになったのです。
ディズニーの「白雪姫」が有色人種だとしたら違和感は拭えません。

「アンクル・トムの小屋」の黒人の主人公が白人だったとしらどうでしょうか?

見たり読んだりする側は、全く物語に没入できません。
多様性の本場であるアメリカでは、今、多様性を見直す時期に差しかかっています。
多様性とは、自分とは違う存在を認めるということであり、自分と同化させなければならないということではないのだと思います。
さらに言を進めると、異質なものの存在および権利は認められるが、それを好まないという自由も認められるという所に行き着くのではないかと思うのです。
例えば、ゲイの人たちの存在は認められるべきです。
逆に、ゲイは好まないという主張も認められるべきでしょう。
しかし、ゲイの人々の前で、「ゲイなんか嫌いだ!」と叫ぶと両者の間に軋轢が増すばかりでしょう。
どうすれば両者は併存できるのでしょうか?
解決法は、住み分けではないかと思います。
フランスでは、ゲイの地区であるマレ地区などがあり、住み分けが進んでいます。
そしてもう一つ大切なことがあります。住み分け以上に大切なことは「気にしない」ということです。
勝手にしてくださいという気持ちです。
そのような観点から見てみると、SNSなどは他人の行動や言動を「気にしすぎ」であると思います。
皆、自分の価値観で物事を図り、裁判官のように断罪しています。
ご当人は気持ちがいいのでしょうね。
故安倍元首相の奥様の昭恵夫人が夫に、「こんなことを書かれていますよ。」と安倍首相の批判記事に気をもんでいたら、夫の安倍さんが、「そんなの見なきゃいいのに。」とおっしゃったそうです。
その通りだと思いました。
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